【大正天皇】近代日本史最大のタブーとして最も誤解された激動の生涯

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Published 2023-08-26
#皇室 #天皇 #歴史

今回は、偉大な名君とされている明治天皇の後を継いだ大正天皇の生涯について解説していきます。
このチャンネルでは皇室の歴史や天皇の生涯について紹介していきます。
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【目次】
00:00 オープニング
00:29 生い立ち
03:01 幼少教育
07:19 貞明皇后とのご結婚
15:20 地方行啓
18:21 大正天皇の政治力と遠眼鏡事件
22:39 崩御
24:38 韓国訪問と漢詩の創作
26:27 大正天皇の人柄

【参考・引用】
原武史『大正天皇』(朝日文庫)
宮内省編『大正天皇実録』71巻
岡野弘彦『おほみやびうた』(邑心文庫)
出典:内閣府迎賓館ウェブサイト www.geihinkan.go.jp/akasaka/about/

【素材】
写真AC様
いらすとAC様
Pixabay様
DOVA-SYNDROME様
効果音ラボ様

#明治天皇 #大正天皇 #幕末 #明治時代

All Comments (21)
  • @user-es8ou3lw1f
    近代で大正天皇の誕生日だけが国民の祝日になってないのはなぜだろう
  • @rosan6179
    子供の頃父の明治天皇が英明だったので、大正天皇はどうしても評価が低いという話を周囲から聞きましたが、在位期間が短かったし長生きしていたらもっと評価は違っていたと思う。
  • @gonchan007
    今まで大正天皇の事はほとんど知らなかったけど、この話しを聞きこの頃は神様的存在であった天皇が国民と気さくに話したりしたと言う所に大正天皇の優しい性格が感じられてとても良かったです
  • @yskztkhs7986
    漢詩を作れる時点で頭脳明晰だよ。漢詩をかじった人ならこの意味すぐ理解できると思うw
  • @user-st2de5eo8n
    生まれながら将来が決まっているのはかわいそうだけど病弱ながらも頑張ったと思います
  • @user-zy7
    大正天皇陛下は、とても優しそうな御顔をされておられる。
  • @healchansns
    漢詩が千首以上というのは何度考えてもすごい。 聡明な方だったのだろうなぁ。 どうでもいいけどお顔がニコライ二世に似ている。
  • @user-ri8ps9ub4i
    大正天皇は幼少時山に犬と散歩に行って侍従を置き去りにし、山中の茶屋のおじいさんと世間話をしたり 当時流行っていた自転車に乗って近隣農家へふいに赴いてお茶を飲んで帰ってきたりと、身分を気にしない活発だったエピソードもあるそうです。 ある程度物がわかる年になると、明治天皇が偉大過ぎたせいかプレッシャーが凄かったんでしょうね。
  • @butchan45
    明治天皇は見た目厳ついかんじですが、大正天皇は落ち着いた見た目ですね。 お身体が弱く長寿とまではいかなかったが、庶民に寄り添う優しい天皇でしたね。 私の祖父と祖母は大正生まれなので、親近感がわいてきました。
  • @ayrton2460
    わたしの祖父は、大正天皇の近衛兵をしていました。天皇は相撲がお好きで、近衛兵同士、相撲をとらされたときいています。
  • @niisai6783
    犬の散歩中、漁夫の家に上がり込んで「お前の家いい眺めだな。ところで猫いない?」って猫を連れて来させて抱き上げたら威嚇されて大笑いした逸話が好きです
  • @user-lq5si9do9o
    明治大正昭和で1番病弱な大正天皇が健康な男子4人に恵まれて跡継ぎ問題がなかったのはある意味皮肉なもんですね
  • @xiao6923
    乳母が実母だったという話ってモーセみたいだなあ 九条節子さんは容姿端麗ではないというけど十分おきれいな方だと思いますけどね😊
  • @user-cl5vt7zy6v9
    御身体のためにと田舎を巡回された時、国民にも普通に接したり、学習院を退学せざるを得なくても 遅れても努力をされたこと、即位されてから 政治家に利用されたことを、遠眼鏡事件は、もしかしたらユーモアまじりにからかわれたのではないでしょうか?と、思ってしまいました😂 母親の柳原愛子が乳児期実家にて育てられたことも、無事に成長された奇跡ですね。4人の男子に恵まれて、生涯愛嬌のある性格の大正天皇、あまり多くを聞かなかったけれど、昭和様へとつなぐ奇跡の人生ですね。 何度か拝見しておりますが、貴重な配信有難うございます。
  • @Bettielove
    白粉(おしろい)に主に含まれていた有毒物質は水銀ではなくて「鉛(なまり)」ですね。 白粉としての性質は非常に優秀で伸びも付きも大変良く、今でもこれに勝るものは無いほどだそうですが、原料である鉛白(えんぱく)の強い毒性については当時まだよく分かっていませんでした。 側付きの女官たちが高貴な方々の身の回りのお世話をする際には、手指〜手首までと顔〜首〜胸(乳首含む)までを全て真っ白に、それも厚く白粉を塗るのが礼儀だとされ、白粉が薄いのは下品だという文化でしたので、やはり身体の小さな乳幼児から鉛白の毒の犠牲となり、ほとんどが1歳ぐらいまでの間に脳膜炎のような症状でバタバタと亡くなって行ったようです。 大正天皇は生母である柳原愛子(なるこ)が周囲からの嫉妬を恐れ、仮病を使って実家に宿下りして密かに出産したとも聞きましたので、結果としてですが、宮中で生まれ育つよりは毒の影響が少なく済んだという可能性はありそうです。 身分が高ければ高いほど、鉛白の毒によく当たり命を縮めて行ったというのは何とも皮肉な話です。 当時の女官たちの衣服も現存していますが、袖口や襟元などが(経年劣化で)黒く酸化した鉛白がべったり付着しており、どれもひどく黒ずんでいるのが特徴的だということです。
  • @user-fg9su2xv8k
    容姿端麗でないとされた貞明皇后ですが、残された若い頃の真影を見ると綺麗な御方だと思います。
  • 私の祖父は、職業軍人であり、明治天皇の近衛騎兵でした。 幼年学校では、大正天皇とご一緒に、南部修平師から馬の稽古を受けた、との事でした🐎
  • @pawnpipe
    晩年は早発性のアルツハイマー病に罹っていたと見られる。当時の侍医が、アルツハイマー医師の論文を読んで、この症状だと思い当たり、アルツハイマー医師に直接教えを乞うため、休暇を得て欧州へと向かっていた時、崩御した。侍医は帰国して職を辞した。大正天皇の病気を治せなかったので辞めさせられたように見る向きもあるが、そういうことではなかったらしい。昔は人間の寿命が短く、アルツハイマー病の患者も今より少なく、どういう病気かよく知られていなかった。
  • @user-sf6wt3jq1w
    昭和天皇に影響を与えた人物だと思う。天皇が各地へ旅をし、 ある漁師の家に入りご飯を食べるエピソードは大好き。 国民の生活と幸せを考えているところは昭和天皇またはその後の 皇族の考え方の基本じゃないかなと思っている。
  • @QTX1234
    夫として、父親としては優しく立派な方だったんでしょうね。 そうでなければ、昭和天皇が皇后が皇子を産めない事を理由に、側室を迎える勧めを断ったりはしなかっただろう。