#61 蒙古襲来と日本刀  日本史上未曾有の国難  蒙古襲来(前編)元寇の時代の刀 九州の武士(サムライ)、かく戦えり

Published 2024-05-17
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あれから750年
 日本史上未曾有の国難
  蒙古襲来(前編)
   元寇の時代の刀 九州の武士(サムライ)、かく戦えり

 時は執権北条時宗の治世、広大なアジアの大半を版図に置いたモンゴル帝国皇帝フビライ(クビライ)は、二度にわたって日本に遠征を行った。歴史に語られる「元寇」である。一度目は文永十一年、蒙古高麗連合軍は、一路黄金の国ジパングを目指す。文永の役である。蒙古勢は、対馬、壱岐、肥前沿岸を蹂躙し、ついに博多を占拠するも、頑健な九州武士の抵抗に加え、後に神風と呼ばれる九州沿岸を襲った暴風雨を警戒して撤退。
二度目は七年後の弘安四年、元そして高麗を主力とした大連合艦隊が再び九州を襲う。第二回日本征伐を目指した弘安の役である。我が国の大陸への玄関口である九州に再び侵略の危機が迫る。
一所懸命。命を懸けて祖国日本を護らん!
九州の武士たちが、蒙古の襲来に立ち向かう。
日本刀専門店銀座長州屋が、元寇で用いられた武器武具の現存品から、日本史上未曾有の国難【元寇】を検証するシリーズ「蒙古襲来」。前編は強敵モンゴル兵に立ち向かった日本の御家人たちが命と祖国の命運を預けた、日本刀にスポットを当てて解説してまいります。
刀剣史上黄金期とされる鎌倉時代中期。

来国光、古千手院、古一文字、そして古波平。日本を震撼させた大帝国元の襲来を、鍛冶の魂が籠る日本刀を手にした九州の侍たちが迎え撃つ。お見逃しなく

解説 深海信彦
アシスタント 今津
編集 今津 寺尾

www.choshuya.co.jp/
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 During the reign of the regent Hojo Tokimune, Emperor Kublai (Kubilai) of the Mongol Empire, who controlled much of the vast Asia, conducted two expeditions to Japan. It is the ``Mongol invasion'' that is talked about in history. The first time was in the 11th year of Bun'ei, when the Mongolian and Goryeo allied forces headed straight for the golden country of Zipangu. This is Bunei-invation. The Mongolian forces overran the coasts of Tsushima, Iki-island, and Hizen, and finally occupied Hakata, but they withdrew due to resistance from the strong Kyushu samurai and fear of the storm that later became known as "KAMIKAZE", which hit the Kyushu coast.
The second time was seven years later, in the 4th year of Koan-invation, when the Grand Combined Fleet, with Yuan and Goryeo as its main forces, attacked Kyushu again. This is the role of Koan, who was aiming for the second conquest of Japan. Kyushu, our country's gateway to the mainland, is again threatened with invasion.
Work hard. I will protect my homeland, Japan, with my life!
The samurai of Kyushu stand against the Mongol invasion.

The series ``Mongol Invasion'' by Japanese sword specialty store Ginza Choshuya examines the unprecedented national disaster in Japanese history [Mongol Invasion] from the existing weapons and equipment used by the Mongol Invasion. In the first part, we will focus on the Japanese sword, which Japanese retainers entrusted their lives and the fate of their homeland with when facing the powerful Mongolian soldiers. Do not miss it!

Commentator Fukami Nobuhiko Ginza Choshuya co&itd Representative Director
Assistant Tomoriki Imazu

All Comments (21)
  • @konnnitiha.
    私は代々武士家系で蒙古襲来では命を懸けて戦ったと聞いています。 先の大東亜戦争では、北方の第九十一師団で國を守っており、打ち刀程の長さになっていた元太刀(銘助真)を軍刀拵えにしたそうです。戦後、占守島の戦いで命を落としましたが、軍刀を部下の方が持ち帰って来てくださり、血が切先付近についてるの見て曽祖父が自刃したのだと分かったという話を聞いてて太刀拵えと軍刀拵えが並べられてるのを見るといつも、複雑な気持ちになります。
  • @user-jv1so5hh6o
    弘安の役では、大宰府の小弐家、熊本の菊池家、肥前の松浦党が主力で各地の在郷武士がいくつか参加してますね。兵力としては最大規模になる阿蘇大宮司家、島津家は南宋からの襲来を警戒して九州南西海岸沿いの警備任務してたようです。文永の役は阿蘇大宮司家2万を鎌倉幕府からの軍監安達安盛に預け博多戦線に。鎌倉軍は京都まで軍を進めましたがそこで蒙古撃退の知らせを聞いて不参加です。よく鎌倉武士が元軍を撃退したといいますが2度に渡り撃退したのは「九州の御家人」です。「鎌倉時代」であっても「地名としての鎌倉」武士ではありませんね。ちなみにその後の動きもあって、九州の武士たちは壱岐、対馬の奪還、また朝鮮やシナに抑留された日本人の奪還を独力で始めています。これがいわゆる「倭寇」です。この時期に高位の武士も大鎧をやめて胴丸型に変えられ水上戦や上陸戦を意識したものに変わっていきそこから南北朝時代に入っていきます。
  • @user-se9dg9hr4c
    しっかりマスクをされて、刀身に配慮されている姿が本物と感じさせます。ありがとうございます。
  • @user-sm5vs8rf3r
    最近の研究では日本の弓の方が有効射程距離が長かったと言われてます。 日本の弓は牽引力40キロだそうで、地面に這いつくばった痩せた女性を片手でヒョイと耳まで持ち上げるだけの馬鹿力がないと引けないそうです。 矢の慣性質量は蒙古軍より大きく、相手の射程距離外から矢を放ち、陣が乱れると、薙刀を振り回し、馬が射られると刀を振り回し、遠距離から近距離まで鎌倉武士団はフレキシブルに戦ったようです。
  • @jistorobo
    思ってたよりも幅広でしっかりしてびっくり。
  • @user-mv1yl5rr9f
    今回も深海先生のお話に引きこまれました。蒙古襲来によって日本刀の姿が大きく変化した様子を、鞘や刀の現物にてご説明頂いたので、驚きつつ理解が大変深まりました。毎回貴重なお話をありがとうございます。次回は、蒙古軍の皮兜や弓などの現物にてご説明があるとのこと、心から楽しみにしております。
  • @usagitan7
    7:47 立ち向かうのは刀しかないからね……いやいや『蒙古襲来絵詞』には薙刀も描かれていますよ。この時代に日本には槍は存在しておりませんので、 まず中距離は武士が矢で射かけ、次に遠間は従者が薙刀で突いたり薙ったりし、近間は武士が馬上にて太刀で相手を仕留めることになります。そして勝ち獲た蒙古兵の首を従者が薙刀の切先に刺して晒します。もっとも船上の戦闘では武士は靭負を背にしていますが、太刀にて立ち向かっています。
  • @noroi_amano
    平安後期から鎌倉初期の腰反りで切っ先の小さい太刀が好きです。
  • @user-oz7bh1km2u
    まさに国難ですね。 東北在住ですが、幼い頃は「泣けば山からモコ(蒙古)来るぞ」と言われておりました。 最近はこの様な事を伝える家庭はほぼ無いかと思いますが、700年以上経った東北地方にさえそういった言い伝えの様な物が残っていた事を考えると、当時の人々の衝撃と恐怖は計り知れないですね。
  • @usagitan7
    蒙古から鹵獲した武器‼️次回が楽しみです。
  • @user-zs5kw8sy5e
    似た様なお話 日中戦争 NHkドキュメント番組で中国戦線での小隊長の手記 先祖伝来の軍刀刀身では使い物にならない 身幅の広いごっつりな刀身を至急所望の手紙が紹介されていました 実戦?で有効な刀とは・・・この様な。
  • @user-ih2we4ud3e
    この頃の時代だと古波平と西蓮を所持していますが、質実剛健ながらも、それでいてどこか優雅な姿が魅力的ですね。
  • 待ってました!  蒙古襲来、社長がおっしゃる様に、 刀が変わった話、 面白い! 次回が待ちどうしいです
  • @user-ej4br8gb5v
    平安後期から鎌倉室町にかけての 主たる攻撃って騎射じゃないんでしたっけ?
  • @azumam2427
    遠距離戦では長弓、接近戦では日本刀や薙刀だったのだろうな。
  • こんにちは。いつも拝見させていただいています。ちょうど昨日に蒙古襲来を背景にしたゲームGhost of Tsushima がパソコンでプレイできるようになりましたが、なんと今日に深海社長が蒙古襲来について語られました。とても面白いです。今後も応援いたします。
  • @dt2576
    鎮西談議所とそこで作刀していた西蓮(左文字のおじいちゃん)などのお話しがでてほしいです。だいぶ前に西蓮はそちらで一度、重要刀剣だったものをみましたががっちりしていた記憶があります。
  • @tech.5137
    いわゆる角弓で大きく反り返る弓でした。 「[世紀帝國4] 蒙古弓」
  • @MOMOTA241
    弓は威力が無かったのかな。でも2度目の時も同じ弓を使っているのは効果があった証拠なのかな。
  • @user-gs7rg9qr3b
    侍は昔から毎日剣の稽古をしていたようです。歩き方も空手と同じ構えで歩き、右足と右腕は同時に前に出します。それはそく剣術、武術に繋がっています。剣道の様に面、小手、突き、胴だけではありません。ひらりと体をかわして敵の腕の頸動脈を一瞬で切り裂き、あるいは首の動脈を切り裂きます。足も、指も、すね、太もも、など全身に及びます。そんな侍の剣をかわすことは至難の業でしょうね😂😂😂